いじめとは何か?(1月21日 2個目)

 僕は「いじめって何?」と聞かれると、即答する事は出来ないと思います。

 広辞苑第六版だと、

【苛め】いじめること。弱い立場の人に言葉・暴力・無視・仲間外れなどにより精神的・身体的苦痛を加える事。1980年代以降、学校で問題化。

 と記載されています。

 だったら、「いじめること。」って何かな、と更に広辞苑を引きました。

【’苛める】《他下一》弱いものを苦しめる。

 なんか、騙されたような気分になりました。

 こういった現象、辞書には多々あります。脱線しますが、僕が関心したのは「右」の説明ですね。

【右】①南を向いた時、西にあたる方。

 何故かこれがやけに印象に残っています。その後、南、西、方、などと、辞書をぐるぐる回っていたら、たらいまわしにされているような気分になりました。

 

 さて、本題に戻りますが、広辞苑第六版には、「立場の弱い人」と記載されていますが、これに違和感を覚える理由があります。

 

 僕の母型の祖父が、烏骨鶏というニワトリを飼っていました。仕事にしているわけではなく、卵を産ませて、それを食べる為に、彼は烏骨鶏を飼育していたわけです。

 子供の頃の僕には、珍しいものだったので、ずーっと観察していました。

 すると、貧弱そうに見える1羽の烏骨鶏を、他の烏骨鶏が、嘴でつつきまわして嬲っているわけです。

 幼少期の僕は「あの烏骨鶏が可哀想だよ。どうにかしてやってよ」と祖父に頼んだのですが、

 祖父は、「そうか」と言って、嬲られている烏骨鶏を殺してしまった訳です。

 最初は、どうして殺したのか解らなかったわけですが、「死体になってからでは、肉が不味くなる」というわけです。祖父は嬲られる対象になった烏骨鶏が、放っておけば死ぬ事を経験的に知っていて、日常的に、一番弱い烏骨鶏を食べていたわけですね。

 さて、此処で恐ろしい現象が起きました。

 次に祖父の家に行った時に、また1羽の烏骨鶏が嬲られているのです。

 僕は此処で初めて理解しました、

「1番弱い烏骨鶏が死んでも、2番目に弱い烏骨鶏が殺されるのだ」と。

 そして、人間のいじめが、動物的本能に由来するものだと考えるようになったのです。

 僕は、酷く馬鹿な子供だったので、弱いものをいじめるのが自然なのだと、勘違いしちゃった訳ですね。

 生物は生物を虐める(事実)

 から、

 生物は生物を虐める(べき)

 と、突拍子もない考え方を初めてしまった訳です。勿論これが誤りである事は、自然主義的誤謬という言葉を知る前に、経験的に思い知らされたわけですが……。

 

 僕が、教育社会学の講義で「いじめられる人の法則性」を問われた時、「いじめても仕返しがなさそうな人」と答えたのは、もしかしたら、烏骨鶏のいじめを見ていたからなのかもしれません。