もし教師になる事が出来たなら(1月22日 3個目)

 僕は、密かに部活動の顧問になりたいという願望を持っています。

 出来れば空手やボクシングなどの打撃系がいいです。

 僕は総合格闘技の選手だった頃、ストライカー(打撃系)だったので、並行して、ジムの打撃コーチもやっていました。

 自分が得た知識や技術を使って試合に勝つのは実に幸福ですが、自分が教えた選手が勝つ事も、相当に幸福だという事に気が付きました。

 武道や格闘技の何がいいかというと、どんな運動音痴でもある程度までは見に付く事です。

 サッカーや野球などの球技は、センスによるものが大きいですが、武道・格闘技は、やれば誰でも身に付きます。

 僕が尊敬している、パラエストラ大阪のタクミ選手。この人も球技などの運動はからっきしだったようです。

 しかし彼は、キングオブザケージ(アメリカの総合格闘技の団体)の、ライト級世界チャンピオンまで行きました。

 彼に凄く共感出来た理由は、

 幼少期の自分は、運動神経がからっきしで、体育の授業に出るのが苦痛で苦痛で、体調不良と偽って、毎日運動場の隅っこで見学しているタイプでした。

 なので、肉体を使う系列は、一生やらないし、出来ないと思っていたわけです。

 けれど、格闘技を習うようになって、(というか、習う必要性が出来て)身になった時、「無理だと思ってたのは、思い込みに過ぎなかったんだ」と気付かされました。

 これは格闘技に限らず、色々な事に言えるんじゃないかと思えます。

 無理と思っているから、本来は可能だった事も出来なくなる。

 心理学だと、これを「セルフハンディキャッピング」と言うそうですね。

 こういった悪い自己暗示にかかった生徒から、それを取り除くのも、教師に求められるスキルなんではないかと思います。

いじめとは何か?(1月21日 2個目)

 僕は「いじめって何?」と聞かれると、即答する事は出来ないと思います。

 広辞苑第六版だと、

【苛め】いじめること。弱い立場の人に言葉・暴力・無視・仲間外れなどにより精神的・身体的苦痛を加える事。1980年代以降、学校で問題化。

 と記載されています。

 だったら、「いじめること。」って何かな、と更に広辞苑を引きました。

【’苛める】《他下一》弱いものを苦しめる。

 なんか、騙されたような気分になりました。

 こういった現象、辞書には多々あります。脱線しますが、僕が関心したのは「右」の説明ですね。

【右】①南を向いた時、西にあたる方。

 何故かこれがやけに印象に残っています。その後、南、西、方、などと、辞書をぐるぐる回っていたら、たらいまわしにされているような気分になりました。

 

 さて、本題に戻りますが、広辞苑第六版には、「立場の弱い人」と記載されていますが、これに違和感を覚える理由があります。

 

 僕の母型の祖父が、烏骨鶏というニワトリを飼っていました。仕事にしているわけではなく、卵を産ませて、それを食べる為に、彼は烏骨鶏を飼育していたわけです。

 子供の頃の僕には、珍しいものだったので、ずーっと観察していました。

 すると、貧弱そうに見える1羽の烏骨鶏を、他の烏骨鶏が、嘴でつつきまわして嬲っているわけです。

 幼少期の僕は「あの烏骨鶏が可哀想だよ。どうにかしてやってよ」と祖父に頼んだのですが、

 祖父は、「そうか」と言って、嬲られている烏骨鶏を殺してしまった訳です。

 最初は、どうして殺したのか解らなかったわけですが、「死体になってからでは、肉が不味くなる」というわけです。祖父は嬲られる対象になった烏骨鶏が、放っておけば死ぬ事を経験的に知っていて、日常的に、一番弱い烏骨鶏を食べていたわけですね。

 さて、此処で恐ろしい現象が起きました。

 次に祖父の家に行った時に、また1羽の烏骨鶏が嬲られているのです。

 僕は此処で初めて理解しました、

「1番弱い烏骨鶏が死んでも、2番目に弱い烏骨鶏が殺されるのだ」と。

 そして、人間のいじめが、動物的本能に由来するものだと考えるようになったのです。

 僕は、酷く馬鹿な子供だったので、弱いものをいじめるのが自然なのだと、勘違いしちゃった訳ですね。

 生物は生物を虐める(事実)

 から、

 生物は生物を虐める(べき)

 と、突拍子もない考え方を初めてしまった訳です。勿論これが誤りである事は、自然主義的誤謬という言葉を知る前に、経験的に思い知らされたわけですが……。

 

 僕が、教育社会学の講義で「いじめられる人の法則性」を問われた時、「いじめても仕返しがなさそうな人」と答えたのは、もしかしたら、烏骨鶏のいじめを見ていたからなのかもしれません。

加糖コーヒーは食べ物(1月17日 3個目)

 本気でそう思っています。

 自分は朝食、昼食を取ると、眠くて眠くて仕方がなくなるので、代わりに加糖のコーヒーを飲んでいます。

 科目等履修で、こっちに帰ってに来る前からそのような食事スタイルでした。しかし、学食を見ていたら、何故かは解らないですが、無性に何かを食べたくなったので、チキンカツと大盛りご飯と、大盛りキャベツと味噌汁を平らげました。

 実に美味かったです。

 元々、夕食を人の3倍以上食べるので、かなりの量を食べても、吐き気などは来ませんでした。が、

 眠くて眠くて仕方がなくなるという、大失態です。

 眠くなるだけではなく、やる気もなくなるのは、厄介極まりないですね。

 コーヒー以外の食物を、日の最後に食べてしまうので、もしかすれば、脳が誤作動したのかもしれませんね。

 本当は夕食を多くするのは、良くないらしいですね。古代インドのお坊さんなんかは、そもそも夕食を摂りませんし。

 まあでも、自分の生活様式だと、

 やはりコーヒーが最高の食事だと思います。

一番油断出来ない時期(1月16日 2個目)

 自分は二年かけて教免取ろうと、高野山に帰ってきたわけですが、やっと半分が終わろうとしています。しかしながら、一番油断出来ない時期でもあります。

 科目等履修生の上限単位は三〇個なのですが、三十個全部取らないと、今年、教育実習に行けないという、ギリギリの状態なわけです。

 リアル死活問題なので、気を抜けませんね。

 まあ駄目元で生きてるので、リスクを必要以上に恐れる必要はないのが、有難いです。

 失敗したらどうするの? と何度も周りから言われましたけど、そんな事を考えていたら余計失敗してしまいます。気にするだけ損です。

 確かに格闘技をしながら、農業で身を立てて、時には雀荘であぶく銭を稼ぐ生活は、悪くはなかったです。悪くはなかったですけど、そのままだと弟が生きていけなかったわけです。

 うちの農業に使っている土地は、二人が食っていける程広くはありません。兄弟のどちらかが別の道に進むしかなかったわけですね……。

 遅かれ早かれ、続く生活ではなかった事は知ってましたが、思ったより呆気なく終わりました。今後どうなるかは、謎ですね。

今日発表するスライドスピーチについて(1月15日 1個目)

 パワーポイントは下手くそながら、完成しました。

 問題点は、読み物だけで、10分かかることですね。自分は視覚的情報と、文字の情報を交互に提示するのが、本当に苦手だという自覚があるので、とても有難い授業です。少しでも“慣れ”て、いきたいです。

 読み物の方と、パワーポイントの内容は、はっきり言って全然別物になっています。だから、読み物とパワーポイントを交互に、話に整合性を取らせながら、スピーチする事に挑戦したいと思います。

 後は時間と、場の空気と、滑舌に注意ですね。大きな声を出しているつもりでも、聞き手からすれば小さい声であったり、と、今までの講義で学んだものが多いので、兎に角今回は、大きな声ではきはきと喋りたいと思います。

 二種類のものを並行して進めるので、どういう展開になるのか、自分でも想像出来ませんが、頑張ってみます。

授業に出ていて思った事(1月9日 3個目)

 学校が始まり、授業が再開され、改めて思った事なんですが、僕は、義務的に何かをしていなければ、徹底的に怠ける悪癖があるようです。

 理由を考えてみたところ、記憶力の問題じゃないかと思いました。

 僕は、恐ろしい程ものを忘れます。1時間も経てば綺麗にフォーマットされていたり、兎に角、記憶力というものを、まったくアテにしていません。

 だから、記憶ではなく、記録するわけですが、記録した事実を忘れてしまうわけですね。

 いつ一番記憶が消えやすいかというと、やはり寝てる間です。記録したから問題ない、と油断して寝ると、朝起きたら、記録した事を忘れておるわけです。

 だから、毎日朝起きたら最初に見るメモを用意して、なんとかしているわけですが、長期的な休みに入ると、このメモを作らなくなるわけです。

 メモを作らなくなったら、朝起きた時に襲ってくるのは不安感ですね。

「なにかとてつもなく重要な事を忘れているかもしれない」

 と、考えて、思い出そうとするわけですが、確かにいくつかは思い出せます。けれど、本当に重要なことを忘れていたりするわけですね。

 長期休暇の日でも、毎日朝一番に見るメモを用意すべきなんだろうと思いました。

勉強する意味(1月8日 2個目)

 情報技術論の講義では、何故勉強するのかを発表する人が多かったですね。木下くんは、過去の偉人の言葉を使って、説明していましたし、榊原くんは、効率的に物事を進める為の道具として、重いものを運ぶ比喩を使って説明していましたね。

 太田くん?(間違ってたら御免なさい)は、1冊の本によって生き方が変わったと言ってましたね。皆さん色々な方法を使って、勉強する意味を説明していました。

 確かに意味づけを与えないと子供は勉強する気になれませんね。パワーポイントを使わない僕の発表では、メッセージ性が無いとの事でしたが、多分ここを説明してないから、メッセージ性がないのかもしれませんね。

 確かに知る事によって得られる事は多いですね。

 僕は、勉強する意味を聞かれたらどう答えるだろうか、考えてみました。

 もし、誰かに、「宗澤は何で勉強なんかしてんの?」と聞かれたら、「勉強したいからだよ。楽しいからだよ」と答えるでしょうが、中学三年生の頃にそうは思っていなかったわけです。

 何故「されられるもの」から、「したいもの」に変わったのか、考えてみれば、もしかしたら僕なりの答えが出るかもしれません。