冬休みの成果(1月7日 1個目)
ほぼ無しです。
少しは何か出来るかと思ったのですが、全然ダメですね。高野山に冬に残ったのは今年が初めてですが、想像以上に寒かったです。
防寒器具が無い勢にとっては、この寒さでペンを握る事自体が相当困難でした。思ったようには行かない事は十分に認識していましたが、まさかこれほど寒いとはと、驚愕しています。
まあ落ち込んでもしょうがないので、今から頑張っていきます。
自分はパワーポイントなるものを使った事がないので、情報技術論の課題が、かなり困難です。
今日の、皆の発表を見てると、予想以上に派手で驚きました。
自分も何かインパクトのあるものを作りたいとは思いますが、いかんせん操作が……。
来週までには仕上げます。地味になりそうですが。
学習環境 12月19日 3個目
此処は、物静かで、夜はしっかり暗く、遊ぶ場所も殆どない。これだけ挙げてみれば、随分と学習する事に向いた環境に思えます。
しかし、右を見ても左を見ても樹木が規則的に立ちはだかっていて、圧迫感を与えますね。空を見ても大抵曇り。
まるで、大きな檻の中で生活しているような気分になります。
そのせいか、やる気のある真面目な学生が、急に元気をなくして、授業に出なる事がよくありますね。
彼らは死んだ魚のような眼で、いつから始めたのか定かでない煙草を吹かしながら、退廃的な生活を送っています。
そのように、山で気力を失う人間を何人か見てきました。単に物質的に不便なだけで、人は此処まで変わってしまうものなのか。そう考えた事もありました。
しかし、様々な条件が折り重なって、結果的にそのようになる。抽象的ではありますが、これが適切なのではないかと思います。
田舎。
単に田舎ならば、自然が残っていて、割と味わい深いと思います。しかし、高野山に自然がさほど残っているか、と聞かれるとそうでもないですね。
高野山を、「陸の孤島」と言う学生が多いですけど、個人的には、「失敗した人口物」が適切なのではないかと思います。
家賃がたった1万円のアパートに住めるという恩恵は、計り知れないものがありますけど。
寺生問題(12月18日 2個目)
寺生の弊害。此処に戻って来ると、嫌でも思い出しますね。しかし、僕自身が寺生をしていなかったので、本当にヤバイ事柄わ、噂でしか聞いた事がありません。
しかしKG寺のM君が、1回生の頃、
「授業に出る為には、すべての仕事を終わらせなければならないんだ……そうじゃないと、授業に出る事は許してくれない」
なんてことを言っていました。
彼は、もちろん坊主頭ですから、はげたりしたら、すぐに解ります。
部分的に色々な箇所がはげてきたM君を見てると、寺生とは恐ろしいものだなぁ、と感じていました。
こっちに戻ってきてから感じた事は、今の学生は寺生が殆どいませんね。
それでいいと思います。
お寺の為の労働力として使いつぶされて、講義をしっかり聞いて理解する集中力が欠いた状態で毎日学校へ来る。
それを見た先生がたのやる気が、どんどん減っていく。
先生がたのやる気が減れば、元々真面目だった学生のやる気もなくなってしまう。
このような負の循環が、僕の世代では起こっていました。
そもそも、給料を貰えない上に、普通の正社員よりハードな生活をしながら、授業を受ける事自体が無謀なんだと思います。
今、寺生が随分減っていて、ほっとしました。
高野山の悪しき制度ですね。
寺生が居ないものだから、何処のお寺もバイト不足ですよ。山内でバイト探してる人にはお勧めです。
インターネットの情報をどのくらい信頼していいか(12月17日 1個目)
僕は、インターネットを使い慣れていないせいもあってか、インターネット上に落ちている情報が、どのくらい信用に足る存在なのか、未だに理解出来てないです。
僕なんかが、このように思いつきで記事を書いてアップ出来るわけですし、質問サイトなども、素人が思いつきで、書こうと思えば書けるわけですよね……。(このブログが誰でもアクセスできる事すら、藤吉先生が教えてくれるまで知りませんでした。)
確かにインターネットは広く浅く情報を仕入れるのには向いてると聞きますが、「信用できるか出来ないかを、皆何処で見分けているのだろう」という疑問を抱かずにはいられません。
1番知りたいのは、インターネットを使い慣れている人は、「どのような基準で、情報の真偽を確かめているか」です。
本当の情報と偽の情報を見分けるコツがあれば、是非教えて欲しいです。
もし、それが解りさえすれば、これほど便利なものは中々ないな、とも思ってはいるのですが……。
部落問題(12月11日 3個目)
自分の出身は、岡山県なので、部落問題を道徳教育の授業でやりました。
ある友人と、僕が遊んでいると、父親が激怒したのはよく覚えています。
結局子供なので、父親の言う事なんて中々聞きません。だから結局、何も変わらなかったわけです。何故怒るのか理由すら解りませんでした。
しかし後々解りました。
何故その子と遊んではならなかったのかというと、部落の血筋だからだそうです。
僕は道徳教育の授業で、部落差別を無くすように教え込まれているわけですから、親と口喧嘩になりました。何故父親が部落の血筋をそこまで恐れていたのか。後々になって理由が解りました。
部落の血筋の人が飼っている、犬や猫を自動車でひき殺してしまったら、膨大な金額を請求されるとか!
実際に、身近に請求されて、払ってしまった人間が居るので、納得せざるを得なかったです。
「莫大過ぎる額だけど、部落の人間を敵に回したら命がいくつあっても足りやしない」
大金を払った近所のおじさんはそう言っていました。
しかし、自分が被害に遭ったわけではないから、そんなに恐ろしいものなのか、という実感は湧きませんね。
ちなみに、今でも部落出身の子とは繋がりがあります。ごく一般的な、普通の人間です。
そこに人並み外れた攻撃性や、気性の荒さはちっとも感じません。
差別化を勧める親と、差別を禁止しようとする先生の意見に挟まれて、どちらを信じていいのか解らなくなった同級生は、沢山居たかと思います。
サイコパス(12月10日 2つ目)
最近は、サイコパスなる言葉が、知られるようになりました。先天的に罪悪感を感じない人達の事です。
これは思ったより多いみたいです。
http://www.psy-nd.info/analysis/ratio.html
このサイトによると、欧米ではなんと、4%の人間がサイコパスなのだそうです。大体25人に1人ですね。クラスに1人は居るんじゃないかという数ですね。
さて、日本人はどうかというと、200~300人に1人だそうです。欧米人に比べたら、随分少なくて、ほっと、
しません!
学年に1人くらいの比率ではないですか。教員やってたら、遭遇しない方がおかしいですね。
かといって、サイコパスの人が全員犯罪者になるかというと、そうでもないようです。
社会人として、立派にやっていける可能性が多いにあるようで、
http://www.j-cast.com/2012/11/09153406.html?p=all
このサイトによると、サイコパスの人が多い職業、上から順に、社長、弁護士、テレビ・ラジオマン、販売員、外科医、新聞記者、警察官、聖職者、シェフ、公務員、と、記されています。
確かに、伊藤先生の講義で、適正の話がありました。「人間を切り刻みたい」という欲求がある人間が、外科医になったら、大成功したりするそうです。
攻撃性も使いようだと思いました。
それから、山脇先生の講義で、サイコパスは法律を理解出来る、とお聞きしました。罪悪感で、犯罪を防止する事は出来ないが、厳罰により防止する事が出来るとか。
しかし、サイコパスの多い職業欄に聖職者が挙がっている……。
これに違和感を感じないのは、高野山に慣れ過ぎたからかもしれません。