学び方を学ぶ(12月9日 1つ目)

 子供の頃の教育は、恐らく、学び方を学んでいるのだと思います。

 学び方がひとたび身に付けば、(大抵の事は)独学出来ると思います。

 自分は、幸か不幸か、随分と学校の先生に嫌われていたので(学校内のトラブルを警察沙汰にしたから)、独学せざるを得なかったわけです。

 勿論、先生達は、それに激怒し、数多の嫌がらせをやり、挙句の果てに、内申書が酷い事になっていたので、不利ではありますが、自力で何とかするしかありませんね。

 いざ、何かを学ぼうと思ったら、そのジャンルの参考書は膨大にありますが、重要なのは、参考書の前で、どのように考えるかではないかと思います。

 ただ言われるがままに学習してきた頃に比べて、あの手この手を駆使して、何が効率がいいか、どうやれば身に付くかを模索する行為は、予想以上に楽しく、もしかしたら、先生に嫌われて正解だったようにも思えます。(本当に自力で身に付くのかという不安と隣り合わせの生活は辛かったですが)。

 結果的には、講義が参考程度で独学が重要になる大学のシステムが、居心地が良かったです。

(内申書を不当な理由で、滅茶苦茶に書いた先生が、何者かにリンチされました。それが誰なのか、知る人はいません笑)

人を自暴自棄にさせてはならない(12月4日 3個目)

 人を自暴自棄にさせてはならない、と、思います。

 

 教育では当然の事、あらゆる事で、人を自暴自棄にさせてはならない。と、思います。

 自暴自棄になった人間に道徳やら法律は通用しません。社会の秩序が乱れます。

 そうならない為の事前措置として、人を追い詰めすぎない事。

 必ず逃げ道を作ってやる事。重要だと思います。

 凶悪犯罪者と呼ばれる人々は、劣悪な環境で育っているケースが多いと聞きます。この事からは、色々な推測が出来ます。

 

 人の気持ちを学ぶ機会が少なかった。

 優れた環境が用意されていた人間に対する僻み。

 親のやった事をそのままやる。

 

 などなど、色々考えられますけれど、

 僕は自暴自棄になる気持ちが一番危ないんじゃないかと思います。

 統計データや、論理的な裏付けなど全くありませんが、なんとなくそう感じます。

お経式記憶法(12月3日 2個目)

 高野山の学生なら殆どがやっているであろう高額バイト? 棚行。

 僕も学部生の時は、学費をまかなう為にやりました。

 最初、業務内容を知らずに、あるお寺でやらせて貰う事になりました。

 しかし、内容を聞いて愕然。

 一人で檀家さんの家を一軒ずつ回るのです。しかも、一日三十軒ほど。

 檀家さんはこちらを、お坊さんだと思うわけですから、すごいプレッシャーです。読み間違えたりしてはなりません。

 その時に唱えるのが理趣経なわけですが、絶対噛んではならないと思い、棚行の二ヶ月ほど前から、毎日毎日、理趣経を唱え続けたわけです。

 ちなみに、理趣経に何が書かれているのか、まったく理解出来ていません。

 しかし、二ヶ月後、つまり棚行をやる時には、理趣経を“内容を理解しないままで”お経を見ずにも唱えられるようになりました。(お経は暗記していても、絶対に開かなければならないというルールがありますが)

 記憶力に自信がなかった僕は、これには驚きました。

 ただし、棚行が終わり、一ヶ月も経たないうちに忘れてしまいました。

 その一ヶ月の間に、理趣経の内容を勉強しなかった事が悔やまれます。

 

 この方法を、何か別の分野に使えるんじゃないかと、企ててる所です。例えば国語科であれば、古典作品をひたすら唱えて、まる暗記してしまった後で、文法書を読むなどすれば、理解力が段違いなのではないかと。

 頭の中に、参考例が沢山インプットされている状態で、法則を学ぶという事ですね。

 記憶が本当に苦手な僕でも、ただ唱え続ければ、覚える事だけなら可能なのですから、結構良いんじゃないかと思います。

 問題は、僕のアパートは壁が薄く、同居人の人が、

「ついに宗澤の奴、頭がおかしくなったか」

 と、思われる可能性がありますね(笑)。

 とりあえず実験してみます。

死刑になる為の殺人(12月2日 1個目)

 あると思います。

 藤吉先生は、先ほどの授業で、「退学になる為に悪さをされたら、どうしようか」といった内容の事を仰っていましたが、丁度、山脇先生の道徳教育の研究という講義で使っているテキスト、

『道徳性の発達と道徳教育』ローレンス・コールバーグ (著), アン・ヒギンズ (著), 岩佐 信道 (翻訳)

 に書かれている、悪さをした生徒と注意する先生の構図を、不意に思い出したので、この記事を書かせて頂きました。

 先生が悪さをした生徒に対して、「それは行儀悪い事です。品のないことよ」と注意するのに対して、生徒は「そうさ、確かに品のないことだったよ」と言って笑う例。

 この先生にとっては「品のあるない」に価値を置くのに対し、生徒は「品のあるない」には全く関心がないのです。

 だから、事実として、この注意は、“厳罰になっていない”ですね。

 

 死にたいと思っている凶悪犯と、死刑制度の構図なんかも、これにそっくりの構図ですね。

 想像すると怖い事ですが、十分に起こり得るでしょうし、もう起きてるかもしれませんね。

 

 デュルケームの価値相対説です。

 

 僕自身も、

・生命には普遍的な価値がある。(べきである)

・普遍的な価値は存在しない。(事実)

 と、思っています。が、

 

 事実からルールを導く事は出来ないですね。「事実」と、「べきである」というのは、全く別物ですから。

 

 デュルケームは、こうも言っています。

 道徳的判断の「内容」は文化によって相対的であるが、「形式」は普遍的である。

 

 価値相対主義デュルケームと、価値絶対主義のデューイ。今の所は、デュルケームの方が学説としては優位に居ると教えてもらいましたが……、

 

 だったら、どうすべきなのか? どうあるべきなのか?

 

 僕の現在の知識量では、とても答えが出そうにありません。

七五三教育について(3個目)

 七五三教育について

 

 マスコミは、こういった言葉を作るのが非常にうまいな、と関心します。

 どういったものなのかというと、小学校で勉強についていける人が三割、中学校で勉強についていける人が五割、高校で勉強についていける人が三割という意味らしいです。

 つまり、学校の勉強がめちゃくちゃ難しかったという事ですね。(僕の世代は違いましたが)

 落ちこぼれと呼ばれる人々が、沢山排出されたようですが、

 教育原論を教えてくれている伊藤先生は「“落ちこぼれ”ではなく“落ちこぼし”なんだ」と言ってました。

 もちろん、授業についていけなければ、学校や社会は憎しみの対象になるから、反社会的な行動を取る人間が増えて、学校が荒れに荒れたようです。

 ゆとり教育はその見直しで発案されたものだとか。(そのゆとり教育も、見直しがされているようですね)

 どちらも美味しい所だけつまみ食いという訳にはいかないようです。

 学力を向上させて、経済的に豊かな国を作る為には、勉強に付いてこれない人が犠牲になり、その劣等感の矛先になる人も犠牲になる。

 かといって、学力を軽視すれば、資源に乏しく技術力に経済を支えられている日本は、不景気になってしまう。(のではないでしょうか?)

 日本の教育は、このような二つの方針を行ったり来たりする傾向があるとか。

 どうにか、適切な教育方針が生まれればいいのですが。

小脳の記憶力侮りがたし(2個目)

 小脳の記憶力侮りがたし

 

 肉体を動かす事に使用されるのが小脳だそうですが、こいつは物凄い記憶力を持っているそうです。自転車の乗り方を忘れないのもそれですね。

 何故今になってまた、そんな話題を書くのかというと、

 日常的に、タイピングするようになって、起こった現象があるのです。

 例えば言葉を書いている時、「ず」と「づ」など、口頭で使っているだけならば、迷ってしまう部分を、変換キーを押す前に何処の指でどのあたりを押したか考えれば、解るという大変有難い現象の恩恵にあやかれているのです。

 昔は、「ふぅん、そういったものもあるんだろうなぁ」程度にしか認識していませんでしたが、実際に生活で役に立ったら、印象に残りますよね。

 きっと以前にも、色々な事柄で、小脳により救われてるんだと思いますが、文字にしなかったので、折角の体験を、忘れてしまってるんだと思います。

 だから忘れないうちに、このような記事を書かせて頂いたしだいです。

中学三年生に、これからも勉強を続けていってほしい、と言っても…… (1個目)

 中学三年生に、これからも勉強を続けていってほしい、と言っても……

 

 色々な人間がいると思います。

 

 もしこの勉強を、学校で教える勉強に限定してしまうと、あまりに残酷ではないでしょうか。

 

 勉強をする事が出来ない環境になる人すらいます。

 

 親に虐待されて、ろくに勉強出来ない子や、

 

 クラスメイトに嫌われて、教科書や文房具を全て捨てられてしまう子や、

 

 鬱病や精神病で、常に締め付けられるような苦痛に襲われている子や、

 

 悪い先輩への上納金を手に入れる為に、勉強する暇さえ無い子など、

 

 あまりに残酷じゃないのでしょうか。

 

 僕は、辛くなって、どうしても発表課題の言葉の選び方に迷ってしまいます。

 

 一旦は文字にしてみたものの、どうにも腑に落ちない内容です。

 

 もちろん、複数人に向けて発表する事が苦手なのは理解しています。だから、免疫を付ける為、自分が納得出来ない文章でも、何とか完成させて、発表したい所ですが……。