ペスタロッチ第三の挫折(10月7日 3つ目)

 ペスタロッチ第三の挫折

                            

 

 倒産して、いよいよ金が無くなったペスタロッチは、最後のなけなしの金を使い、再び行動に出る。

 1774年(28歳)に貧民労働学校(ノイホーフ)を作ったのだ。

 もちろんこれも、私財をなげうっている。

 実はペスタロッチは金を沢山持っていたのではないか? と考えるかもしれないが、実際は違ったようで、「乞食を人間らしく生活させるために、自らが乞食のような生活をしていた」と言われていたそうだ。

 貧困層は字も読めない、言葉も正確には使えない、知識も乏しいので、貧困な生活が永久に続くような状態を脱却する為に貧民労働学校は作られた。

 ペスタロッチの着眼点が教育に向かったのは此処からである。しかし、貧しい人間の救済という目的は一貫している。

 だが、この計画すら失敗してしまう。

 学校は閉鎖。

 資金切れ。

 ペスタロッチ本人も失意のどん底であったという。