道徳教育と意味付けについて(11月14日 1つ目)
道徳教育と意味付けについて
「○○だから、してはいけません」
殆どの人は、このように子供に躾ると思います。が、これは時間稼ぎに過ぎないのではないかと思います。
そう言われた人間が、その理屈をしっかりと飲み込んで、素直に成長するならば、それで良いとは思います。が、少なくとも万人に使える方法ではないかと思います。
「○○だから」
と、意味付けを与えると、ひねくれた子供は、(もしかすれば、殆どの子供が)反論をすると思います。仮に言えないならば、心の中に隠しているのではないか、と思います。
「なんで人を殺したら駄目なの?」
こんな意見を述べる子供まで、居る程です。
やはりこれは、良い事をする、悪いことをしない、という行為に意味付けを与えた大人の責任も、多少なりともあるかと思います。
「駄目なものは駄目」
このように教えられる大人は、減っているのではないかと思います。いわゆる、古い日本人と言われる人々です。
この教え方は、個人的に、非常に理に叶っていると思います。理由は単純で、「なんで駄目なの?」という疑問が、発生しにくいからだと思っています。
大人が、理屈で道徳を教えるなら、子供は、理屈で覆そうとする。そういう生き物ではないかと、思っています。