コメニウス(10/21)

 コメニウス

                               

 

 今回は17世紀以降の教育思想に関わった人々について書こうと思う。

 まず、非常に有名なのはコメニウス(1592~1670)である。チェコスロバキアの人だ。現代ではチェコとスロバキアに分かれているが、コメニウスが居たのはチェコに当たる。

 彼は〝近代教育の父”と呼ばれている。

 恐らく教育哲学者の中では1番有名ではないだろうか。そんなコメニウスがどのような人間だったのか、概要を書くことにする。

 コメニウスが29歳の頃、ボヘミアの教団で牧師をしていた。(ちなみに校長でもあったそうだ。)

 しかし、施設は家もろとも焼かれてしまう。

 普通の人間なら、此処で心が折れているかもしれない。が、偉人と言われる人々はすべからく不運から立ち直っている。

 コメニウスもそうだった。

 彼は、1632年に『大教授学』という書籍を世に出した。

 コメニウスが1592年に生まれたわけだから、41歳の頃である。

 彼はもともと、程度は違えど、全ての人への教育を施したいと考えていた。これには障害者も該当する。

 『大教授学』には、パンソフィア(汎知主義)という、プラトンのイデア論に極めて近いベースとなる思想が入っている。

 噛み砕いてどういったものなのかというと、パンソフィアとは神(当時の時代と地理的背景から、外すことの出来ない概念)、自然、及び全ての人間における真の知識の全てを知ることの出来る体系の事である。

 では、パンソフィアを実現する為に、どうしたのかと言うと、

1~6歳   母親学校(幼児学校)

7~12歳  初級学校(国民母国語学校)

13~18歳 中等学校(ラテン語学校)

25~    死の学校

 と、定めて、教育を行った。

 

 此処で以前の記事と関連付けようと思う。1~6歳は、〝母親学校”なのだ。学校教育だけが、教育でない事は、この時期からも十分に認識されていた。

 現代社会において、取り戻してもらいたい感覚である。

 さて、前記事では、性善説性悪説について少しだけ触れたが、〝近代教育の父”コメニウスは、どう考えていたか、次の記事で書きたいと思う。